美少女ロボット計画2017 第9章 美少女ロボットと考える哲学

美少女ロボット計画

どんな些細な事でも、何かを動機に夢を持って生きる事は哲学の1つだと考えられます。夢を見ているだけじゃなくて、その夢が叶う事を信じる事こそ自分の夢を実現させる第一歩となるのです。(君が望む永遠涼宮遙の名言より)

考える事が止まって頓挫していては、そこで夢は叶わなくなります。玉置成実松村和俊様が仰るように「夢を諦めたら、そこで終わりなんです」

 

(6月3日追記)

1、快楽主義(ヘドニズム)

快楽と幸福こそに価値があり、苦痛や悲しみは無価値であるとする考え方です。

人間の一生は思っている以上に短いものです。

ならば、生きている間にできる限りの楽しい体験を享受するべきではないでしょうか? 美食に興じ、肉欲に耽る。少なくとも苦痛や不快は避けるべきではなかろうか?というもので刹那的な思考です。

美少女ロボット計画は快楽主義を主幹としていきます。

 

2、禁欲主義(ストイシズム)

キティオンのゼノンを創始者とする古代ギリシャストア派にさかのぼる思想であり、変わることのない内面の平安を求める。世は無常であり、常に変化し続け、それを制御することはできない。だが自らの内で起きていることなら制御できるという考え方です。自律と人生への積極的な関与が禁欲主義の概要だとされていますが、イスラム教を始めとした禁欲主義は美少女ロボット計画の思想とは相容れないものです。

 

3、実存主義

デンマークの哲学者セーレン・キェルケゴールが最初に唱えた。彼は人生は本人による一連の選択に他ならないと考えた。その選択は本人にしかできず、それこそが人生に意味を与えることになります。

我々は自由意志・選択・個人の責任で自らの人生の意義を決めねばならない。また、選択は法・倫理・伝統にとらわらずなされなければならない。

人生で何を成したいのか、そしてそこにどんな意味を見出すのか? それが実存主義です。

 

学問としての哲学で扱われる主題には、真理、本質、同一性、普遍性、数学的命題、論理、言語、知識、観念、行為、経験、世界、空間、時間、歴史、現象、人間一般、理性、存在、自由、因果性、世界の起源のような根源的な原因、正義、善、美、意識、精神、自我、他我、神、霊魂、色彩などがあります。一般に、哲学の主題は抽象度が高い概念であることが多いです。

 

哲学の学問的構造は一般的には以下の4分類からなります。

存在論
認識論
倫理学
美学

これらは形而上学存在論、因果性、 宇宙論を含む) 倫理学、認識論、論理学、 そして最後に美学というように列挙されます。

(6月4日追加)

存在論

古代ギリシャ

プラトンイデア論は、パルメニデスの不生不滅の考えとヘラクレイトスの万物流転の考えを調和させようとした試みであると言われ、この現実の世界は仮象の生成流転する世界であって永遠に存在するものはなにもなく、イデアの世界こそ真実在であるとし、最高のイデアは、善のイデアであるとし、存在と知識の最高原理であるとした。

 

アリストテレスは、存在への問いを明確に立て体系化した最初の人物でした。彼は、その学問体系を、「論理学」をあらゆる学問成果を手に入れるための「道具」(organon)であるとした上で、「理論」(テオリア)、「実践」(プラクシス)、「制作」(ポイエーシス)に三分し、理論学を「自然学」と「形而上学」、実践学を「政治学」と「倫理学」、制作学を「詩学」に分類しました。アリストテレスによれば、形而上学は存在するものについての「第一哲学」であり、始まりの原理についての知です。即ち、存在者のさまざまな特性を問う個別科学とは区別され、その上位に位置づけられる究極の学問として、「存在者である限りでの存在者」、「全体としての存在者」、即ち「存在とは何か」を問う学問を構想し、これを『第一哲学』と呼んだのです。

 

中世

アンセルムスは、理性によって神の存在を証明しようとしました。

1、神はそれ以上大きなものがないような存在である。
2、一般に、何かが人間の理解の内にあるだけではなく、実際に(現実に)存在する方が、より大きいと言える。
3、もしもそのような存在が人間の理解の内にあるだけで、実際に存在しないのであれば、それは「それ以上大きなものがない」という定義に反する。
4、そこで、神は人間の理解の内にあるだけではなく、実際に存在する。

 

トマス・アクィナスは、アリストテレス存在論を承継しつつも、その上でキリスト教神学と調和し難い部分については、新たな考えを付け加えて彼を乗り越えようとしました。

彼は、アリストテレスの「形相-質料」(forma-materia)と「現実態-可能態」の区別を受け入れました。アリストテレスによれば、存在者には「質料因」と「形相因」がありますが、存在者が何でできているかが「質料因」、その実体・本質が「形相因」である。存在者を動態的に見たとき、潜在的には可能であるものが「可能態」であり、それが生成したものが「現実態」である。「形相-質料」は主に質量を持つ自然界の存在者に限られるが、「現実態-可能態」は自然界を超越した質量を持たない形相のみの存在者にまで及びます。すべての存在者は可能態から現実態への生成流転の変化のうちにあるが、すべての存在者の究極の原因であり、質料をもたない純粋形相が「神」と呼ばれました。

トマスにとって、神は、万物の根源でありますが、純粋形相ではあり得ませんでした。旧約聖書の『出エジプト記』第3章第14節で、神は「私は在りて在るものである」との啓示をモーセに与えているからです。そこで、彼は、アリストテレスの存在に修正を加え、「存在-本質」(esse-essentia)を加えた。彼によれば、「存在」は「本質」を存在者とするため「現実態」であり、「本質」はそれだけで現実に存在できないため「可能態」である。「存在」はいかなるときに於いても「現実態」であって神は、自存する「存在そのもの」であり、純粋現実態であるとしました。

 

近代

存在論を初めて哲学体系に組み入れたのは、18世紀ドイツのクリスティアン・ヴォルフです。彼は、ライプニッツの表象概念を基礎にした体系的な形而上学を構築したので、彼とその後継者の哲学は「ライプニッツ=ヴォルフ学派」といわれています。

彼の学問体系は、哲学を理論的哲学と実践的哲学とに分け、前者を「形而上学」と呼び、この形而上学を構成するものとして、存在論、合理的心理学、宇宙論、合理的神学を掲げました。此の中で存在論は「存在者が存在するかぎりにおいての存在者一般の学」であり、優越した特殊な存在者(神や魂)を扱う特殊形而上学(合理的心理学、宇宙論、合理的神学)に「先立つ」一般形而上学として位置づけられました。

ライプニッツは、神学と分かち難く結びついていた存在論を分離し、哲学を神学から独立させたのです。

 

カントもまた存在論を哲学体系に組み入れる事に取り組みましたが、ヴォルフと異なるのは、存在論を「人間のアプリオリな認識の諸原理・諸要素の哲学」(先験哲学)と説き、存在者を悟性で分析する次元から、対象のアプリオリな「認識」の次元へと転換した点にあります。

そもそも人間の有限な認識によって存在論的認識が可能であるか否かを、批判によって確定することが先決条件であると主張しました。

 

現代

マルティン・ハイデッガーは存在そのものの「意味」を問おうとし、そのための方法論として現象学を採用し、志向性を「関心」(Sorge)と呼び、「存在的」(ontischen)なあり方と「存在論的(ontologisch)なあり方を区別しました。彼によれば、すべての存在者の中でも、存在論的な在り方に於いて、存在の意味について関心を持ち、理解し得る可能性のあるのは、理性ある「人間」のみであるが、「ひと」(das Man、世人)は、日常においては、存在忘却のため、本来の自己をもたず、他人一般に支配され「世間」に埋没している。したがって、存在忘却から脱し、存在そのものの意味を解明する準備として、人間たる現存在がどのような構造をもつかを分析する必要があるとし、この現存在の分析論を「基礎的存在論」(Fundamentalontologie)と呼び、すべての存在者の意味に関する存在論の基礎を与えるものとしました。

彼によれば、西洋哲学の歴史は、プラトンアリストテレスに起源を有し、スコラ哲学によって定式化された「本質存在の優位」という思想が形を変え、品を変え登場するだけであり、それはデカルト・カントの近世哲学からニーチェに至るまで何ら進歩も変化もしていないとする。それは、何らかの本質によって制作されて存在するという宇宙・自然という見方であり、人間以外の存在者、宇宙・自然界の存在者すべてを「道具」とみる人間中心的な「閉存」の立場でした。それは、ソクラテス以前の哲学者が宇宙・自然を機械的・道具的なものではなく、生き生きとした自ら成るものという見方をしていたことと対照的でした。

 

分析的形而上学

経験主義を基礎に実在論を主張するものが多くいました。そして、経験主義の伝統に於いては、真理とは、観念と実在の対応であり、その場合の観念とは、一つの名辞を単位に考えられていた。カルナップらの論理実証主義は、この単位を一つの言明に置き換えられました。

しかしながら、ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインによれば、このように実在と観念の対応を一つの名辞、一つの言明に分解していく還元主義は不可能であり、われわれの認識は一つの言語体系であり、したがって、とある信念を検証するにあたっては、一つの理論の全体との関係で、経験の審判を仰がねばならず、そのコロラリーとして、分析的真理と総合的真理は区別することはできないとしました。

クワインは、これを「全体論」と呼びましたが、これによれば、経験による改訂の可能性を原理的に免責されている信念はなく、もし対立する二つの理論があるときは、どのような経験によっても、そのどちらかが完全に否定されることはなく、どのような信念でも保持しつづけることができることになります。

 

認識論

認識論とは認識、知識や真理の性質・起源・範囲(人が理解できる限界など)について考察する、哲学の一分野です。存在論ないし形而上学と並ぶ哲学の主要な一部門とされ、知識論とも呼ばれます。

哲学はアリストテレス以来その領域を諸科学によって置き換えられていきましたが、最後に狭い領域が残り、それが大きく認識論と存在論に大別され、現在もこの分類が生きています。認識論では人間の外の世界を諸々の感覚を通じて如何に認識していくかが問題視されます。認識という行為は、人間の凡ゆる日常的、あるいは知的活動の根源にあり、認識の成立根拠と普遍妥当性を論ずることが存在論です。

哲学論は基本的に仮設の羅列に過ぎず、単に主観的な主張でした。

19世紀末ごろ、認識論の一部が哲学の外に出て心理学という学問を成立しましたが脳科学の進歩によって急速に、認識論と存在論の2つの世界は大きく浸食されつつあります。

 

認識論の特徴

1、人はどのようにして物事を正しく知ることができるのか。
2、人はどのようにして物事について誤った考え方を抱くのか。
3、ある考え方が正しいかどうかを確かめる方法があるか。
4、人間にとって不可知の領域はあるか。あるとしたら、どのような形で存在するのか。

 

古代ギリシャ

認識論的な問題の原典は、プラトンの『テアイテトス』にまで遡ることができます。

本対話篇では「知識とは何か?」という問いに対し、知識とは常に存在し、疑いなきものであるとの対話者間の共通の前提から、テアイテトスはまず知識とは知覚であると主張しました。

これに対して、ソクラテスは、知覚は人それぞれによって異なるものであるとした上で、「人間は万物の尺度である」と主張して相対主義を唱えたプロタゴラスを引き合いに出し、彼が自らの思いが真であると固執すれば、自らの思いが偽であると認めざるを得なくなるとしてその主張を論難しました。

結局のところ、本対話篇では、知識とは何かに対する回答は示されず、アポリアに終わる。しかしながら、そこでは、知識とは、正当化された真なる確信であるという定式を既に見出すことができます。

プラトンにとって知識とは常に存在する普遍的なものでなければなりませんが、それは実体であるイデアの世界にあり、この現実の世界は仮象の生成流転する世界であって永遠に存在するものは何もないです。

従って、知識も決して師や賢者が一方的に教授できるものではなく、弁論術による対話を通じてようやく到達できるものです。

プラトンの著作が対話篇という形をとり、その結末がアポリアを呈示する形で終わっているのは、このようなプラトンの思想を反映したものです。

プラトンによれば、物の本質は、感覚によって把握することはできず、物のイデアを「心の眼」で直視し、「想起」することによって認識することができるとされています。

 

プラトンは、知識とは正当化された真なる確信であるという定式を否定し、その理由は「ある事」を確信しているということは、その正当化の理由となる「ある事」を既に知っているからであるという循環論法を疑った。これについて以下のアリストテレスは否定しました。

 

アリストテレスは、知には常に何らかの前提が存在していることを否定せず、ある事を確信している場合、その前提となっている理由はその都度問われても良いと考えました。

プラトンの「心の眼」について、アリストテレスはこれを否定し、広い意味での経験によって得られるもののみを知と見て、知の諸形式を知覚、記憶、経験、学問に分類しました。

さらに、アリストテレスは、その学問体系を、「論理学」をあらゆる学問成果を手に入れるための「道具」(organon)であるとした上で、「理論」(テオリア)、「実践」(プラクシス)、「制作」(ポイエーシス)に三分し、理論学を「自然学」と「形而上学」、実践学を「政治学」と「倫理学」、制作学を「詩学」に分類した。アリストテレスによれば、形而上学は存在するものについての「第一哲学」であり、始まりの原理についての知です。また、彼は、その著書『形而上学』において、有を無、無を有と論証するのが虚偽であり、有を有、無を無と論証するのが真であるとした。そこでは、「有・無」という「存在論」が基礎にあり、これを「論証する」という「判断」が支えています。其処では、存在論が真理論と認識論とに分かちがたく結び付けられています。

そのため、形而上学の中心的な問題は存在論となったのです。

 

中世

アウグスティヌスの認識論は、プラトンイデア思想の流れを汲むものであり、存在論と幸福論とが一体となっています。彼によれば、人間は魂と身体の複合体であり、両者は共に独立した実体であり、魂は「私」という意思です。

魂は自律するゆえに、探求するが、彼を探求に導くものは愛であり、愛は最後の憩いの場として万有の根源である神を求める。「神は存在である」神が自己自身を認識することによって、我々の認識が始まります。従って、神は認識の原理であるとともに真理であります。人は真理を認識するためには、感覚(外的人間)に頼るのではなく、理性(内的人間)によらなければならないとされています。

理性は外に向かうのではなく、内部に向い、それを超えた果てに真理を見る。内的人間と真理との一致に霊的な最高の喜びがあるのです。

 

トマス・アクィナスの認識論は、アリストテレスの思想の流れを汲むものでした。

トマス・アクィナスは、アリストテレス存在論を承継しつつも、その上でキリスト教神学と調和し難い部分については、新たな考えを付け加えて彼を乗り越えようとしました。トマスにとって、神は、万物の根源であるが、アリストテレスの説くように純粋形相ではあり得なかったといいます。

彼によれば、「存在」は「本質」を存在者とするため「現実態」であり、「本質」はそれだけで現実に存在できないため「可能態」である。「存在」はいかなるときにおいても「現実態」でした。

トマスは、存在論に基づく神中心主義と、理性と信仰に基づく人間中心主義の統合を図り、後世の存在論に多大な影響を与えることになりました。スコラ学は彼によって体系化されましたが、その世界観はやがて独断的で権威主義的なものへと変質していきました。

 

懐疑主義との対決、デカルト革命

ルネ・デカルトは近代的な意味で認識論を成立させました。デカルトは、数学・幾何学の研究によって得られた概念は疑い得ない明証的なものであると考え、これを基礎付けるための哲学体系を確立しようとしました。

デカルトは、合理的な学問的知識さえを疑う全面的な懐疑主義に対して方法的懐疑論を唱え、肉体を含む全ての外的事物が懐疑にかけられた後に、どれだけ疑っても疑いえないものとして純化された精神だけが残ると主張しました。

そこでは、存在について語る前にどのようにして存在を認識するのかを論じなければならないとされ、形而上学はもはや存在についての第一哲学ではなく、存在の認識についての第一哲学となりました。

此のデカルトの革命的な主張は、形而上学の中心的な課題を存在論から認識論へ転回させただけでなく、認識に関する様々な物議を醸すきっかけとなりました。

 

合理主義

ルネ・デカルトは認識の起源は理性であるとしました。

デカルトは、アリストテレスがその著著『霊魂論』に於いて述べた経験主義的原則、すなわち、知覚によって対象から受け取った表象なしに人は思考することはできないという立場に反対し、精神を独立した実体と見て、精神自身の内に生得的な観念があり、理性の力によって精神自身が、観念を演繹して展開していくことが可能であるとしました。

此の様な考え方の背景には、当時の飛躍的な数学、幾何学、自然学の発展があり、当時の人々は、誰がどのように考えても同一の結論に到達するというイデア的な観念の源泉を理性、つまり動物とは区別された人間の本性のうちに見たのです。

此の様な人間の思考には経験内容から独立した概念が用いられているという考え方を生得説といいます。

デカルトは、結論としては、精神、物体を有限の実体であるとした上で、無限の実体である神の三つが実体であるとしました。精神と物体の二元論に於いて、主観と客観の一致を保証するため、神の存在が必要だと考えました。

 

ニコラ・ド・マルブランシュは、デカルトの提出した神の概念って自然法則を証明するための条件に過ぎず、キリスト教的伝統に基づく人格神ではなく、実質は無神論ではないかとの疑惑も根強いものがある状況下で彼は、認識論的にはアウグスティヌスイデア説を継承し、神は万象の原因であり、われわれは万物を神のうちに観るとの思想を基本に、デカルト的な心身問題の解決を図ろうとし、精神や身体の変化のみならず、物体相互の接触や運動は神の作用の機会に過ぎないという「機会原因論」を主唱し、その上に壮大な形而上学体系を構築しました。

 

(以下6月5日追記)

スピノザは、デカルトを批判し、神のみが実体であるとし、そこからすべてを理性によって演繹するという方法を考えました。

スピノザによれば、神が唯一の実体である以上、精神も身体も、その二つの異なる属性に他ならないことになります。

スピノザは、その著書『エチカ』に於いて、表象を「第一種の認識」、理性を「第二種の認識」、直観を「第三種の認識」と三分類しました。彼によれば、人間は自然の一部であるから、外部から様々な影響を受けますが、人間の精神はまず自分の身体の変状についての観念を持たざるを得ないが、これが第一種の認識でした。

この観念は人間の身体と外部の本性を共に部分的に持つものであるがゆえに「認識の欠如」の観念を含みます。従って、第一種の認識に基づくデカルト流の方法的懐疑は認識の欠如を含む故に決して明証性・確実性を有するに至ることはありません。

然し、人間の身体と外部の本性を共に部分的に持つという事は、本性を共通にする部分についての普遍的な認識をすることはでき、これを第二種の認識と呼ぶ。さらに、個物の本性に関する認識を第三種の認識と呼び、真と偽の区別は第二種ないし第三の認識に基づきなされています。

 

ライプニッツの認識論は、多元的で最小の実体であるモナドを基礎にします。モナドは万物の数に応じて多数ある分割不能な実体でありますが、モナドは鏡であり、表象能力を有し、自発的に世界全体を自己の内部に映し出し、世界全体を認識します。

また、彼は、モナドは窓がなく、独立した別個の実体であるから、相互に影響を与えることはできないので、神の創造による予定調和によって他のモナドと協調して表象を展開することができるとしました。

此の様な立場から、決定論、汎神論に陥ったスピノザと異なり、自由意思、人格神を認めることができ、いちいち神が機械人形を操るように世界に介在しなければならないとしたマルブランシュの機械原因論を否定した上で、デカルト的な心身問題を解決することができるようになりました。

いわば対立する全ての合理論を調停した上で、伝統的なキリスト教的神学を擁護しようとしたのがライプニッツ哲学といえるでしょう。

 

経験主義

ジョン・ロックは認識の起源は経験であると主張しました。

ロックの時代背景としては、ピューリタン革命や内乱のため1641年に高等宗務裁判所が廃止されたことがあり、当時、英国国教会カトリック教徒やクエーカー教徒との対立が激化しただけではなく、民衆にはヘルメス主義などが流行し、自分の目も感覚も明らかな証拠も信用せず、自分の経験すら偽りとしてまで自らの教義に一致しないものを認めようとしない頑固な人びとが多くおり、独断主義との対立が迫られるというような社会情勢にありました。

 

ロックと彼を引き継ぐジョージ・バークリーやデイヴィッド・ヒュームなどのイギリス経験論者は、経験に先立って何らかの観念が存在することはなく、人間は「白紙状態」(タブラ・ラサ)として生まれてくるものと考えて生得説を批判しました。

ロックは、デカルトと同様、精神、物体、神の三つが実体であるとしており、数学に関しても論証的知識に属するとしてその確実性を否定したわけではありません。

ロックは、反省によって生成された観念を理性によって演繹すること認めるので、その限りで、ロックはデカルト主義者であるというように見做す事も出来ます。

但し、自然学については、その知識は確実なものではなく、蓋然性を得るにとどまるとした。ロックによれば、物体の性質は、固性・延長性・形状等の外物に由来する客観的な「第一性質」(primary quality) と、色・味・香等の主観的な「第二性質」(secondary quality) に分かれますが、我々が知ることはできるのは後者のみで、それすらも経験によって全てを知ることはできず、その蓋然性を得るにすぎないのです。

 

 

 

ジョージ・バークリーは、ロックの経験論を承継しつつ、ロックが物体を実体とした上で、物体の第一性質と第二性質を区別したことを批判しました。

彼は、両者の区別を否定し、実体とは同時的なる観念の束に他ならないと考えました。此の様な考え方から、彼は、物体が実体であることを否定し、知覚する精神と、神のみを実体と認めました。

これを端的に表す有名な言葉として『存在とは知覚されてあることである』

バークリは、主観的観念論、独我論と批判されることになりましたが、彼は聖職者であり、神を実体としていたことから、その思想は寧ろマルブランシュに近いものであったとされています。ロックの経験論は独我論懐疑論の中道を目指す経験的実在論を基礎にしていたが、バークリはデカルト主義的なロックの観念論を承継していたのでした。

 

 

デビット・ヒュームは、主著『人間本性論』に於いて、凡ゆる観念の理性による基礎付けを否定し、当時の自然科学の知見に基づき、観念の形成過程を分析しました。

ヒュームによれば、人間の「知覚」は印象(impression)と、そこから創出される観念(idea)イデアの二種類に分けられるが、全ての観念は印象から生まれます。

印象は人の意識に強く迫ってくるいきいきとしたものでありますが、何故それが生じるのか説明のつかないものであり、観念は印象の色あせた映像に過ぎない。この観念が結合することによって知識が成立しますが、知識には数学や論理学のように確実な知識と蓋然的な知識の二種があります。観念の結合について「自然的関係」と「哲学的関係」の2種があり、前者は「類似」(similarity)・「時空的近接」(contiguity)・「因果関係」(causality) があり、後者は量・質・類似・反対および時空・同一性・因果がある。その上で、ヒュームは、因果関係の特徴は必然性にあるとしたが、一般に因果関係といわれるpとqのつながりは、人間が繰り返し経験する中で「習慣」(habit) によって心の中に生じた蓋然性でしかないと論じ、理性による因果関係の認識の限界を示したのです。

 

この因果関係に関するヒュームの考えは後にカントに決定的な影響を与えました。カントは、その著書『プロレゴメナ』において、ヒュームが自分を独断論のまどろみから眼覚めさせたと後に明らかにしました。認識のための道具は理性であり、もしこの道具に限界があるのであれば、なによりも先に、その可能性と根拠について問われなければならない。カントは後に認識の可能性と根拠を問う哲学を超越論哲学と呼び、これを展開していくことになりました。

 

批判主義

イマヌエル・カントは、此の様に合理主義と経験主義が激しく対立する時代に、観念の発生が経験と共にあることは明らかであるとして合理主義を批判し、逆に、全ての観念が経験に由来する訳ではないとして経験主義を批判し、二派の対立を統合したとする見方が今日広く受け入れられています。カントの立場は、このように経験的実在論から出発し、超越論的観念論に至るというパラドキシカルなものでした。

カントは、これらの受動的に与えられる内的対象と観念ないし概念を短絡させる見方を批判し、表象(ドイツ語: Vorstellung)を自己の認識論体系の中心に置きました。

カントは、表象それ自体は説明不能な概念であるとした上で、表象一般はその下位の範疇に意識を伴う表象があり、その下位には二種の知覚、主観的知覚=感覚と、客観的知覚=認識があるとしました。人間の認識能力には感性と悟性の二種の認識形式がアプリオリにそなわっていますが、これが主観的知覚と客観的知覚にそれぞれ対応する。感覚は直感により、いわば受動的に与えられるものでありますが、認識は悟性の作用によって自発的に思考します。意識は感性と悟性の綜合により初めて「ある対象」を表象するが、これが現象を構成するのです。此の様な考え方を彼は自ら「コペルニクス的転回」と呼んでいました。カントによれば、「時間」と「空間」「因果関係」など限られた少数の概念は人間の思考にあらかじめ備わったものであり、そうした概念を用いつつ、経験を通じて与えられた認識内容を処理して更に概念や知識を獲得していくのが人間の思考の在り方だということになります。

 

 

直感主義

20世紀になると、エトムント・フッサールは、西欧諸科学が危機に直面しており、その解決が学問の基礎付けによってもたらされると考え、現象学の確立を試みました。

当時は、アインシュタイン相対性理論を始めに、量子力学を含め理論物理学が飛躍的に発展し、デカルトやカントが前提としていたニュートン力学に対する重大な疑義が出された時代であり、改めて学問の基礎付けが問題となったのでした。

フッサールは、数、自己、時間、世界などの諸事象についての、確実な知見を得るべく、通常採用している物事についての諸前提を一旦保留状態にし、物事が心に立ち現れる様態について慎重に省察することで、イデア的な意味を直観し、明証を得ることで諸学問の基礎付けを行うことができると考えました。

 

 

認識の本質

哲学的認識論の第二の問題は、人間にとって不可知の領域はあるか。あるとしたら、どのような形で存在するのかという問題です。これは認識主体たる意識と認識客体という対立する何れの項に基本を置いて認識の本質を規定するのかという問題でもあり、観念論と実在論が対立しました。

実在論は、素朴実在論を批判して、物体の第一性質と第二性質を分けるロックの主張があり、科学的実在論と呼ばれています。

観念論は、主観的観念論の立場に立つものとしてバークリの主張が挙げられることが多いが、その主張は複雑です。

カントに於いては、現象は、物自体と対比され、物自体と主観との共同作業によって構成されます。別の言い方をすると、現象というのは物自体に主観の構成が加わった結果のものであるとし、人は現象が構成される以前の物自体を認識することはできない、としました。1781年に出版した『純粋理性批判』の中で、カントは人間の持つ理性がどのようなものであるかを、分析しました。そしてその分析を通じて、人間の理性は、どんな問題でも扱える万能の装置ではなく、扱える問題について一定の制約・限界を持ったものであることを論じました。そして人間の理性によって扱えないような問題の例として、カントは純粋理性のアンチノミーという四つの命題の組を例示し、ライプニッツが行ったような形而上学的、神学的な議論は、原理的に答えを出せない問題であり、哲学者が真剣に議論すべきものではない、と斥けました。

 

カントは純粋理性批判の中で、以下四つのアンチノミーを例示しました。

1、世界は時間的、空間的に有限である/世界は無限である
2、世界はすべて単純な要素から構成されている/世界に単純な構成要素はない
3、世界のなかには自由が働く余地がある/世界に自由はなくすべてが必然である
4、世界の原因の系列をたどると絶対的な必然者に至る/系列のすべては偶然の産物で、世界に絶対的必然者は存在しない

 

アンチノミー(二律背反)とは、ある命題(テーゼ、定立)と、その否定命題(アンチテーゼ、反定立)が、同時に成立してしまうような場合を言います。つまり「Aである」と「Aでない」が、同時に成り立つような場合を言う。この四つの命題の組は、そのどちらを正しいとしても矛盾が生じるものであり、このどちらかが正しいという事を、理性によって結論付けることは不可能、つまり議論しても仕方のない問題だ、とカントは論じました。それぞれについて簡単に内容を説明しておくと、第一のものは時間に始まりはあるか、空間に果てはあるか、という問題、第二のものは原子や素粒子といったこれ以上分割できない最小の構成要素があるかどうかの問題、第三のものは自由意志と決定論の問題、そして第四のものは世界の第一原因と神の存在の問題です。

カントによる形而上学批判は、以降の西洋の哲学に大きい影響を与えることとなり、神の存在証明や宇宙の始まりなどの形而上学的な問題は、哲学の中心的なテーマとして議論される傾向は抑制されていきました。

 

真理論

哲学的認識論の第三の問題は、ある考え方が正しいかどうかを確かめる方法があるか、という真理論の問題です。

プラトンアリストテレス以来の古典的な伝統的を引き継ぐ見解として、実在と観念との一致であるとする「対応説」です。アリストテレスは、その著書『形而上学』において、有を無、無を有と論証するのが虚偽であり、有を有、無を無と論証するのが真であるとしました。其処では、「有・無」という「存在論」が基礎にあり、これを「論証する」という「判断」が支えている。カントに於いては、認識と現象が同時に成立するので厳密な意味での「対応」ではないが、基本的には対応説であるとされています。

次に、デカルトによって始まる、意識に対して明証的に現れるものを真理とみる「明証説」があり、これはフッサールがその立場を引き継いだ。また、スピノザに始まる、認識が体系内で論理的に矛盾がないかどうかで判定する「整合説」があります。その萌芽は、中期プラトンライプニッツにもみることができます。さらに、ニーチェプラグマティズムの立場から主張されるに至った、行為の結果の有効性で真偽を判定する「有用説」もあります。これら三つは何れも主観主義の一形態を見ることが出来ます。

 

英米の現代的認識論

英米では、論理実証主義運動を契機に、科学哲学や分析哲学が発展し、古典的経験論の失敗に学び、スコットランド常識学派の成果を吸収した上で、いわば現代的経験論ともいう立場を打ち立てて、フランスやドイツとも異なる独自の発展を見せました。

英米の現代的認識論では、知識とは何か、正当化とは何か、懐疑主義と如何向き合うかといった問題を軸に活発な議論が行われてきました。

英米の現代認識論で扱われるその他のテーマとしては、知覚の認識論、徳認識論、認識論の社会化、アプリオリな知識の可能性などがあります。また、近年では、知識の価値とは何か、知識の実践的、社会的機能とは何か、合理的な不一致はありうるか、などの多様なテーマが論じられるようにもなっています。

 

知識の正当化と概念分析

知識の概念分析に於いては、「知識とは正当化された真なる信念である」というプラトン由来の知識の古典的定義をどう修正していくかということが一つの焦点となってきました。これはゲティア問題のために、古典的定義が文字どおりには正しくないと考えられるようになったためです。但し、ゲティア問題のこのような含意を否定する論者も存在します。此の文脈では、以下のような立場が様々なな哲学者によって展開されました。

 

基礎づけ主義

基礎づけ主義とは、認識主体が何かを信じるための正当化を持つかどうかは、その認識主体のなんらかの基礎的な信念、またはそれに類似する心的状態に最終的に依拠するという立場。これらの信念ないし心的状態は、他の信念、心的状態を正当化するものでありながら、それら自体は(他の信念、心的状態によっては)正当化されないため、基礎的と呼ばれます。

 

真理の整合説

整合説とは、ある認識主体の持つ信念がお互いに調和しあっていることをもって、個々の信念が正当化されるとする考え方です。

真理とは何か、という問題に対する哲学上の立場のひとつ。ある命題が真であるかどうかは、その命題と他の命題群との整合性によって決まるとする立場です。

真理に関する別の立場、真理の対応説が、命題の真偽をその命題と世界との対応関係を中心において考えるのに対し、整合説では命題と世界との対応関係ではなく、命題と命題群の関係に注目します。

調和、整合ということで、論理的な整合性(logical consistency) 以上のことが意味されるかどうかは、整合説論者でも意見が分かれます。

 

内在主義

典型的な内在主義は、アクセス内在主義と呼ばれるものです。正当化に関するアクセス内在主義とは、認識主体が何かを信じるための正当化を持つかどうかを決定する要素は、全て(あるいは少なくとも、主要なものは)、その認知主体が反省のみによってアクセスすることができるものだけだという考え方です。知識に関するアクセス内在主義とは、同様の条件を、認識主体が知識を持つかどうかを決定する要素に対して課す立場です。ゲティア問題を知識に関するアクセス内在主義で切り抜けるのは非常に困難な事です。

 

外在主義

外在主義を内在主義の否定と解するならば、アクセス内在主義の否定としての外在主義も、「正当化に関する外在主義」と「知識に関する外在主義」に区別されます。前者は、認識主体が何かを信じるための正当化を持つ際に、当の認識主体の反省的アクセスの対象ではない要素が介在するという立場です。後者は、同様の条件を、認識主体が知識を持つための条件とします。

懐疑主義との対決としては既に見た外在主義は、知識ないし正当化の条件として、認識主体本人が反省的アクセスを持たない要素を認める。従って、我々がデカルトの欺く神に騙されているのでないということを認識主体が証明できなくとも、現実世界のあり方や、認識主体の認知プロセスが実際に信頼可能であるという事実によって、知ることができるという可能性が開けます。

 

信頼性主義

信頼性主義( reliabilism) と呼ばれる立場で、最も有名なものは、プロセス信頼性主義であり、正当化に関する外在主義の中心的な立場です。プロセス信頼性主義によれば、ある信念が正当化されるためには、その信念が信頼のおける認知プロセスによって形成されることが必要です。

 

 

知識の因果説

知識の因果説とは、ある信念が知識かどうかは、その信念が、因果的に適切な仕方で生じたかどうかによって決まるという立場。アルヴィン・ゴールドマンによって提唱されました。

 

決定的理由分析

決定的理由分析はフレッド・ドレツキの提案した概念で、その信念が間違いであるならば、その理由が得られる事はないであろうような理由。ドレツキはある人の信念が知識であるのは、その信念が、その正しさを保証する決定的理由に基づいて信じられているときであるという考え方をとる。これは知識に関する外在主義の一種となります。

 

文脈主義

認識論に於ける広義の文脈主義(contextualism) とは、極めて大まかに言えば、何が正当化されているか、何が知識かは文脈によって変化する、という立場。欺く神について考える文脈と、より日常的な問題について考える文脈を区別することで、デカルト的懐疑が日常の思考にも影響することを食い止めることができる。ジョン・L・オースティンが提唱者の一人です。

 

認識論の現在と未来

自然化した認識論

ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインによって提案された「自然化された認識論」は、自然科学的な方法論によって認識論を行おうという立場であり、クワイン以降、様々な形で展開されています。

クワインは、先ず古典的な経験主義には二つのドグマがあり、ドクマなき新たな経験主義を確立する必要があると主張しました。彼によれば、経験主義には、事実に基づく総合的真理と事実問題と独立な意味に基づく分析的真理の間には根本的な相違があるという信念と、有意味な言明は直接的経験を指示する諸名辞からの論理的構成物と同値であるという信念の二つのドグマがあり、此の二つのドグマは同じ根を持つ。経験主義の伝統に於いては、真理とは、観念と実在の対応であり、その場合の観念とは、一つの名辞を単位に考えられていましたが、カルナップらの論理実証主義は、この単位を一つの言明に置き換えました。つまり、此処では、直接的経験によるセンス・データ(感覚所与)言語に翻訳可能であれば、此の言明は有意味であると考えられたのである。しかしながら、クワインによれば、此の様に実在と観念の対応を一つの名辞、一つの言明に分解していく還元主義は不可能であり、我々の認識は一つの言語体系であり、従って、とある信念を検証するにあたっては、一つの理論の全体との関係で、経験の審判を仰がねばならず、そのコロラリーとして、分析的真理と総合的真理は区別することはできないのです。

クワインは、これを「全体論」と呼びましたが、これによれば、経験による改訂の可能性を原理的に免責されている信念はなく、もし対立する二つの理論があるときは、どのような経験によっても、そのどちらかが完全に否定されることはなく、どのような信念でも保持しつづけることができることになります。

 

発生的認識論

ジャン・ピアジェは、心理学者として、特に発達心理学で有名ですが、もともとは古典的認識論の諸問題を解決する糸口を生物学・心理学に求め、「発生的認識論(ドイツ」を提唱しました。彼は、多数の実験により幼児の認識の発達段階を解明した上で、認識は対象から独立しており、決して対象に到達することはないが、同時に対象によって支えられているという点で構成的なものであるとしました。また、発生的認識論は哲学ではなく、科学であり、極めて専門的・集団的なものであるとの考えから、1955年、発生的認識論国際センターをジュネーヴに設立し、世界中の様々な分野の研究者たちとの共同研究を晩年まで精力的に行ない、現在も多くの学者が共同で研究を続けています。

 

進化論的認識論

コンラート・ローレンツは、動物行動学で有名で、哲学者のカール・ポパーと共に、人間の認識の起源の問題を個々人ではなく、生物種としての人の認知構造に求め、知識の変化を進化とみて通時的なアプローチを試みる「進化論的認識論」を主張しました。

 

自然科学の発展と認識論

パソコンが普及する1970年代になると人間の心の本質について新知見を齎す学問分野が発展し、その後も進展が続いています。脳科学、心理学、認知科学、神経生物学、人工知能、コンピューターなどに関連する研究です。これらの発展は“見る”事が如何になされているか、如何に心が外界の表象を形作るか、如何に情報が蓄えられ再起されるかなどの理解につながっています。これらの分野の発展が認識論に影響を及ぼす事が示唆されています。

 

倫理学(道徳哲学)

倫理学とは一般に行動の規範となる物事の道徳的な評価を理解しようとする哲学の研究領域の一つです。

倫理学の研究対象とは道徳の概念によって見定めることができます。この道徳の定義の問題に対して異なる見解が示されていますが、一般的に道徳とは社会に於いて人々が依拠するべき規範を確認するものです。然し、道徳とは理性により齎されるものであるのか、感情によってもたらされるものであるかについては議論が分かれています。デイヴィッド・ヒュームの見解によれば、事実についての「である」という言明から規範についての「であるべき」という言明を結論付けることは論理的にできません。これはヒュームの法則とも呼ばれる主張であり、従って理性によって道徳的な判断を導くことは不可能であると考えました。ヒュームは道徳的な判断が感情に起因するものであるという立場にあり、より厳密には自身の利益から道徳性が発生したとも論じている一方でイマヌエル・カントは理性から道徳法則を導き出しています。カントは道徳性を自由選択と関連づけて理解しており、人間は自分自身の理性に従う時にだけ自由になることができると考える。そして理性によって人格として行為するための道徳的な規範の実在が主張される。このような道徳性の根源についての研究はメタ倫理学(Meta-ethics)の研究として包括することができます。

また道徳性の具体的な内容については規範倫理学(Normative ethics)という研究領域で扱われています。この領域で古典的アプローチの一つに徳倫理学があります。プラトンアリストテレスの研究はその中でも最も古い研究であり、彼の分析は人間に固有の特徴に基づいた美徳を中心に展開しています。例えば危機に際して蛮勇でも臆病でもなく、その中庸の勇敢さを発揮する人間の特性を指して美徳と呼びました。このような研究に対して義務論の学説は道徳規則に基づいています。カントは人間の道徳法則としてどのような場合においても無条件に行為を規定する定言命法という原理を提唱しました。此の立場において人間は実在する道徳規則に対して従う義務を負うことが主張されます。また義務論と反対の立場に置くことができる立場として結果論の立場があります。此の立場に立った功利主義の理論がジェレミー・ベンサムによって提示されています。ベンサムによれば、行為を正当化する時の判断の基準点とは行為によって齎される結果であり、具体的には効用によって計算されます。ベンサムは行為が齎す快楽の程度を最大化するように行為する最大多数の最大幸福の原理を提唱しました。

 

古代の倫理学

ソクラテスプラトン

此処に、第3の哲学として「倫理哲学」(倫理学)を確立・大成するに至ったのが、アテナイを拠点としたソクラテスと、彼を題材として多くの著作を残したプラトンです。

ソクラテスは、問答法(弁証法・ディアレクティケー)を駆使しながら、「徳」の執拗な探求とその実践、そしてアテナイ人をはじめとする民衆への普及に生涯を費やしました。

プラトンは、40歳頃にイタリア半島南部(マグナ・グラエキア)に旅行し、当地のピタゴラス学派・エレア派と交流を持ったことで、独自の思想を形成するに至り、「イデア論」を背景として「善のイデア」を探求していく倫理学思想を確立しました。此の倫理学は、個人で完結するものではなく、哲人王や夜の会議を通じて、現実の政治・法治・国家運営へと適用・活用されることが要請されました。

 

アリストテレス

アリストテレスは、アレクサンドロス大王の家庭教師を経つつ、50歳ごろにアテナイ郊外に自身の学園リュケイオンを設立し、倫理学を含む総合的な学究に務めました。彼の学派ペリパトス派(逍遥学派)は、プラトンアカデメイア派と並ぶ一大潮流となり、後世に大きな影響を与えました。

アリストテレス倫理学は、(論理学・形而上学と共に)ソクラテスプラトンのそれを更に精緻化したものであり、「最高善」を究極目的とした目的論的・幸福主義的な倫理学としてまとめられました。また、ソクラテスプラトンの場合と同じく、倫理学政治学の基礎となっており、現実の政治・国制へと適用・活用することが要請されました。

 

また、プラトンの思想は、ネオプラトニズムを経由しつつ、キリスト教神学・キリスト教哲学へと吸収され、その骨組みの一部となりました。

 

インドの倫理哲学

紀元前7世紀頃に聖典ヴェーダ』の付属文献『ウパニシャッド』に表れるような哲学として結実していきました。

其処に現れる倫理学は、世界そのものであるブラフマンと各人の個我たるアートマンの一体性(梵我一如)へと認識を昇華させることで、サンサーラ(輪廻)から解脱することを人生の究極目的とする目的論としてまとめられる。この世界観・倫理観は、バラモン教の後継であるヒンドゥー教(アースティカ)に限らず、仏教ジャイナ教のような『ヴェーダ』の権威を認めない後発の宗教(ナースティカ)も含め、後世のインドの思想・宗教・倫理観全般に絶大な影響を与えました。

また、マウリア朝チャンドラグプタ王の宰相カウティリヤは、その著書『実利論』の中で、人生の目的を

アルタ(実利)
カーマ(性愛)
ダルマ(法)
のトリヴァルガ(三組)とする倫理観をまとめ上げ、後世に影響を与えました。

 

中国

春秋戦国時代諸子百家の1つ、孔子に始まる儒家は、徳治主義を掲げ、徳の探求とその社会構成員への普及、内的向上を志向する点で、法治主義の法家と対比されます。儒家では様々な徳目が挙げられるが、最重要徳目は「仁」(人間愛)です。

また、墨家は「兼愛」(平等愛)を倫理的徳目として掲げるなど、儒家と対比されます。

 

近代の倫理学

 

メタ倫理学

メタ倫理学は道徳判断に含まれる概念の分析や倫理的主張の理論的正当化を課題とする倫理学の一分野です。20世紀に言語哲学分析哲学の影響を受けて大いに流行しました。代表的論者として、ジョージ・エドワード・ムーアなどがいます。

「善」とは何か、「倫理」とは何か、という問題を扱います。規範の実質的な内容について論じる規範倫理学と異なり、メタ倫理学においては、そもそもある規範を受け入れるというのはどういうことか、ということについての概念的分析、道徳心理学的分析、形而上学的分析などを行います。

 

規範倫理学

規範倫理学とは、広義の義務論、徳論、自由意志、広義の価値論について考察する倫理学の一分野です。どのような道徳や判断が善いのか(あるいは正しいのか)を探求する。快楽主義、幸福主義、非快楽主義、利己主義、利他主義功利主義などの代表的な規範倫理学の立場があります。

倫理的行為に関する学問分野で、哲学的倫理学の一領域であり、道徳的な観点から見て、人はいかに行為すべきかにまつわる諸問題を探求します。規範倫理学はメタ倫理学とは次の点で異なっています。

つまり、メタ倫理学は道徳的言語の意味と道徳的事実に関する形而上学を扱うのに対し、規範倫理学は行為の正しさと不正の基準を検討するものです。また、人々の道徳的信念についての経験的探求である記述倫理学とも、規範倫理学は区別されます。別の言い方をすれば、記述倫理学は、例えば、「殺人は常に不正である」と信じる人びとの割合がどれほどかを調査するのに対し、規範倫理学は、そのような信念が正しいのかという事柄自体を検討することに関心を持つ。従って、規範倫理学は時に、記述的(descriptive)ではなく「指令的(prescriptive)」な学問であると言われます。然し、道徳的実在論と呼ばれる特定のメタ倫理学的立場によると、道徳的事実は記述的であると同時に指令的でもあるとされます。

行為、規則、性向などを正しくあらしめる倫理的要因は何なのかについては、多様な見解が存在します。

 

倫理学

アリストテレストマス・アクィナスは、特定の行為の良し悪しではなく、行為者の人格に内在的な性格に注目した。過去半世紀にかけて、徳倫理学は目覚ましい復活を遂げました。

 

義務論

道徳的決断は行為者の義務と他者の権利という要因を考慮に入れてなされるべきだという立場。義務論には次のような理論があります。

1、イマヌエル・カント定言命法:道徳性は人間の理性的能力に根ざしており、不可侵の道徳法則があると主張する。
2、ジョン・ロールズの契約主義:道徳的な行為とは、偏見が全くない状態を仮定したときに、我々全員が同意するようなものだとする。
3、ジョン・ロック、ロバート・ノージックらの自然権理論:人間は絶対的な自然権を有すると主張する。

 

帰結主義

行為の道徳性はその行為のもたらす結果に依存すると主張する。帰結主義の理論は、その理論が何をもって価値があるとみなすかによって異なり、以下のようなものがある。

 

国家帰結主義

行為が正しいのは、それが秩序、富、人口増加などにつながり、国家の福利を齎す場合であるとします。

 

功利主義

行為が正しいのは、それが最大多数の最大幸福を齎す場合であるとします。

幸福の最大化を促進するものだけでなく、どんな種類のものであれ、功利を最大化しようとする理論は、以前にはすべて「功利主義」と呼ばれてきていました。

尚、快楽主義は功利主義の一部に含まれています。 

 

選好功利主義

最善の行為は、関係者の選考を最も広く充足するようなものであるとします。

 

利己主義(エゴイズム)

道徳的な人とは、自己の利益に関心がある人のことであり、行為が正しいのは、自らの善を最大化する場合であるとします。

日本語でのそれより広い意味を指しており、他者の不利益を求める悪、万人の利益を求める功利主義とは区別されます。利己主義の対義語は、利他主義である。ナルシシズムの表れとするものもある。エゴイズムとは区別される場合も存在します。

 

哲学に於いて利己主義は、心理的利己主義 と 倫理的利己主義 の二種類に分けられます。

 

心理的利己主義

心理的利己主義は、「人間の行為は自分自身の利害に現に常に動機付けられている」とする見解。「人間の本性(心理)は快楽主義(幸福主義)であろう」との想定です。(心理的利他主義と対比されます。経済学の理論などで想定される(架空の)「自己の利益のみに常に関心を持つ "合理的" 経済人」は、此の心理的利己主義者に当たります。倫理的利己主義とは異なった説明です。

 

倫理的利己主義

倫理的利己主義は、「人の行為は自分自身の利害に動機付けられるべきである」とする倫理学上の立場です。利他主義心理的利己主義と対立的に説明されます。

行為の善悪や正否のよりどころは「自分自身の最大幸福」であり(原則上は)他人に被害があってもかまわない" と考えるので、功利主義(=集団の利益を考慮)と対立します。

但し実際には、社会に利益を齎せば、めぐりめぐって自分の利益として戻ってくる事が多く、また自身の利己的な行動が周囲の行動へと伝染し、他者の利己的な行動を誘発し、めぐりめぐって自己の不利益ともなるので、利己主義(者)であっても、左記を理解し長期的な合理性を考慮し行動をする者に限定すれば、結果は(ある程度)利他的になるとも考えられています。

 

状況倫理

正しい行為とは、最も愛のある結果を創りだすもののことであり、愛がいつも人の目的であるとします。

 

知性主義

最善の行為とは、知識を最もよく促進するものであるとします。

 

福利主義

最善の行為とは、経済的な福利を最も増大させるものです。

 

 

応用倫理学

メタ倫理学や規範倫理学の成果を現代の実践的な問題に適用する倫理学の分野です。その応用範囲に応じて、以下のような領域があります。

生命倫理
脳神経倫理学
医療倫理学
環境倫理学
経済倫理学
情報倫理学
動物倫理学
その他の応用倫理学

 

美学

美学とは美の本質や構造を、その現象としての自然・芸術及びそれらの周辺領域を対象として、経験的かつ形而上学的に探究する哲学の一領域です。

伝統的に美学は「美とは何か」という美の本質、「どのようなものが美しいのか」という美の基準、「美は何のためにあるのか」という美の価値を問題として取り組んできました。科学的に言えば、感覚的かつ感情的価値を扱う学問でもあり、ときに美的判断そのものを指すこともあります。より広義には、この分野の研究者たちによって、美学は「芸術、文化及び自然に関する批評的考察」であるとも位置づけられました。

 

 

美学の出発点は、知性的認識の学としての論理学を感性的認識の学で補完することにありました。

 

 

此処で哲学と見做される分野は

科学哲学、論理学の哲学、生命倫理学、美学、心身問題の哲学

法哲学、政治哲学、宗教哲学、教育哲学

以上。

 

 

 

 

 

僕は親に夢を壊され、12年間も此の計画に頓挫していました。

哲学といっても様々な本が存在し、哲学を勉強するのに本稿を僕が30歳になるまで何十冊もの哲学書を読解するには時間も間に合わないので、暫くの間は此の章を暫定公開とします。