美少女ロボット計画2017へ…14年前の夢は永遠に色褪せない

美少女ロボット計画

美少女ロボット計画2006より一部転載
16歳当時は西又葵さんの美少女キャラクター・芙蓉楓やプリムラに惚れました。2003年12月26日に2004年版の計画書を書き始めました。ここで初めて長い文章で書き著すようになり、手書きノート14ページで約2万字(原稿用紙50枚分)で書かれてあります。それでも文章はまだ乱雑な部分が多いです。2004年11月18日に書き終り、技術的な説明編の途中で17歳になりました。その11月中にこれを洗練した、文化祭(2年生)に貼り出すパソコン版の計画書5ページで約6100文字で書きました。(MSN上にdocファイルを置いておきます)手書きのよりも文章が飛躍的にしっかりとしています。これが2005年版の計画書の手本になり、2005年版は4月28日から7月28日まで、20ページで約2万6800字(原稿用紙68枚分)で書かれてあります。第1章だけで3000字(原稿用紙7~8枚分)あります。2005年版からは難しい漢字がいたるところに使用しています。2005年当時は黄金時代でした。
そして19歳になってWebに進出してこの美少女ロボットのブログを作り、2005年版の計画書をコピーして、さらに洗練した2006年版を書くことを目指してました。

 

今まで家庭や学校で幾度も焚書の危機から必死に守り抜いて来たからこそ、現在の美少女ロボット計画は存在を維持しています。

美少女ロボット計画の現代化に貢献した17歳の少年の功績を此処で讃えることを、この場をお借りして宣言します。

その夢と意思は、今年で30歳になる大人に受け継がれることでしょう。

(2月20日追記)

僕が17歳の頃に書き上げた「美少女ロボット計画2005」は僕の29年間の人生で書いた、どんな文章よりも一番長い2万6800字もの長さを誇る長文でした。
そして今月末日に此の美少女ロボットのブログが消滅すると思うと悲しい…うぅ…
13年前の若き自分は、今年で30歳になる、途方に暮れて鬱病になった大人を励まして現在に至っているんだと泣ける程、今この記事を書いた時は涙が出るほどに感激しました。
最近になって母親が17歳の頃だった42年前の名曲「木綿のハンカチーフ」を街中で歌うようになりました。
此の夢は、どんなに辛いことがあっても僕の心の片隅で輝き続け、生きる希望をもたらしてくれました。
美少女ロボット計画や萌えキャラとの出会いが齎す此の夢がなくなったら、今の自分はいなかったと思います。
30年前の夢になっても、決して色褪せることはないでしょう。
1000日女の子の夢を見るのに30年、千日前は三十年前!(2017年2月2日に1000回達成)
二次元キャラ登場率は最高27%で230回見るのに約15年かかりました。
人生30年は大きなものです。10年間も周りの人から無視され続けられた10年間も、一生でも大きな節目だと思います。

夢を壊されることがどんだけ悲しい事か、皆さん分かりますか?
ゲームメーカー関係者や原画家等、著作権者やユーザー層がロボット化されるのは悲しいと考えるのは
犯罪者が暴力や窃盗などしたいという夢を壊されたと言っているのと同じ理論だと思います。

夢を諦めないで!夢を捨てないで!夢は幾つ年をとった大人をも励まし元気付ける!
人は夢の為に生きる、人は何かの夢を叶える為に生きるんだ! 夢はいつだって叶えるためにある!!
これからも、美少女ロボット計画よ、永遠に…