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美少女ロボット計画2017 沿革と経緯、悠久の美少女ロボット計画

美少女ロボット計画2017

美少女ロボット計画

 

沿革と経緯

動機は2002年5月頃から漫画やゲームやアニメの美少女キャラクター(全年齢対象)を気に入ったことから全ては始まりました。

美少女ロボットを作る夢は急に出来たものではなく、此の頃から徐々に、まるでアルプスの少女ハイジに出てくるアルムのオンジお爺さんのように少しづつ想いが募り、かけがえの無い存在になっていく過程に譬えられるでしょう。

さらに2001年代には君が望む永遠アージュ)やPiaキャロットへようこそ3(F&C)、みずいろ(ねこねこソフト)発売され、

2002年にはべっかんこう処女作バイナリィポットが発売されましたが、後にダ・カーポや、それは舞い散る桜のように、が発売される少し前、2002年5月24日、中学の修学旅行から帰って4日後、僕は等身大の女の子のぬいぐるみを作ろうという気持ちに目覚めました。5月17日、修学旅行出発前日の晩に、僕はその修学旅行のしおりの表紙絵に色を塗ったことがきっかけになった。当時の僕はその女の子の絵に惚れるくらいだったのでPiaキャロットの高井さやかを初めて見た時は一目惚れするほどだった。

 

元祖美少女人形計画

2002年5月24日に創立され、6月12日に正式発表された元祖美少女ロボット計画の当時の名称は等身大少女ロボット人形計画でした。
何故「ロボット人形」としてあるのかというと、人形は朝起きてもずっと目を開けたままである。
お風呂に入れるとぐしょぐしょになり重くなり乾くのに時間がかかる。(美少女ロボットが何故お風呂に入ることができるのかは第8章で説明します)
話かけても喋らない。
瞬きしない。
やがて自分の体臭や染みがついて臭くなる。といった欠点があるからです。
それを改善し克服したのが美少女ロボットです。
この『ロボット』という単語が付いたことで計画が発展し、現在の『美少女ロボット計画』となりました。
今からちょうど三年前の当時はロボットではなく、ぬいぐるみでした。それにしても、E.T.やミッキーマウスの等身大のぬいぐるみは存在するのに美少女キャラクタ-の等身大のぬいぐるみはトイザらスやマニア専門店等に行っても何故か未だに商品化されていない。
等身大の女の子の人形を自作してみるのも完成した時の達成感が醍醐味で、寝る時はいつも抱きしめながら寝ることができる楽しみがあります。
そこで、以前の計画を引き継いで美少女キャラクタ-の等身大のぬいぐるみを商品化する計画も用意しました。この商品は高価な美少女ロボットの廉価版として用意されています。価格は一万円程度で安いし、感情表現や知能プログラムなどは搭載されていないのでコレクションとして何十体か買っても特に差支えありません。
以上の項目で服などの商品化について説明しましたが、この被服製作部門の設備を有効活用して等身大のぬいぐるみを作ろうと思います。
単品販売されているのでその服を簡単に着せ替えすることができます。
服は脱がして洗濯できるので清潔に保つことができます。
また、ロボットと同様のシリコンで作る人形、(いわゆる)所謂ダッチワイフは作っても中途半端で価値がなく、飽きが早いと考えられますので作りません。
どうせ作るならロボットにした方が損しないと思います。

 

2002年6月12日、中間テストの社会の問題用紙の裏に初の計画書を書いた。サモンナイト2の女の子主人公の絵を真ん中に書いて、左右に設定や機能を箇条書きした。題名は『等身大ロボット人形計画』でした。元祖美少女ロボット計画 2002年版です。

(これは親に捨てられ焚書されました)

FiFA日韓ワールドカップや秘密基地作りなどで青春していた当時14歳の僕でした。

当時の担任、歌敷山中学校で理科の藤田安孝先生はマジョリティ主義者で、美少女ゲームや僕のマイノリティな考え方に批判的でした。

15歳になってから僕は次第にロボットを意識するようになりました。

2002年11月26日に暫定企業名『株式会社コパメイド』と決定しました。中学校のアルバムにも「コパメイド設立するん」とか「アンドロイドがんばれ」とか書かれてあります。

 

此の時代に影響を与えた原画家たち

@aoi_nishimata 今から15年…13年前の時代で #美少女ロボット計画 に影響力をもたらした原画家さんは西又葵様の他、鈴平ひろ様、村上水軍様、橋本タカシ様、べっかんこう様、ねこねこソフト原画家様、本田直樹様、武田弘光様、七尾奈留様、それ以外は全年齢対象の原画家です。

2002年のゲーム作品(全年齢)

Ever17原画家、滝川悠 様。とうとう今年はEver17の年になりますね。既婚で女の子を出産されたお母さんになりましたが、彼女の絵は現代の萌え絵師の模範となるレベルです。

Memories Off 2nd原画家ささきむつみ様。15年前の作品ですが、僕は当時14歳で萌えの時代に多大な影響をもたらしたと思います。

 

(村野工業高等学校時代)

 2003年、神戸村野工業高校に入学してから本格的な計画書を書く活動を始めました。小学校のノートで、移動教室時も持ち歩いて執筆を続けた程で…それから卒業まで両親と反対派の生徒や先生から幾度も焚書の危機から必死に美少女ロボット計画のノートを守り抜き、現在に至っています。

2003年5月1日、2003年版の計画書を図書室で書き始めました。当時の名称は『美少女キャラクターロボット化計画』でした。この時期に登校途中の電車で知り合った3年の井出先輩たちと知り合い、井出先輩が略して『美少女ロボット計画』と呼んだのが始まりで、2003年6月19日『美少女ロボット計画』が正式名称になって現在まで引き継いでいます。

2003年版の計画書は図もあって5ページあります。これも箇条書き気味の傾向があり、手書きです。6月25日で書き終りました。まだ乱雑で稚拙な計画書でした。ここまでが15歳の僕です。(自宅のゴミの下に埋もれているかもしれないので将来は画像と共に公開したいと思います)

 

2003年12月26日に2004版の計画書を書き始めました。ここで初めて長い文章で書き著すようになり、手書きノート14ページで約2万字(原稿用紙50枚分)で書かれてあります。それでも文章はまだ乱雑な部分が多いです。2004年11月18日に書き終り、技術的な説明編の途中で17歳になりました。その11月中にこれを洗練した、文化祭(2年生)に貼り出すパソコン版の計画書5ページで約6100文字で書きました。(フロッピーディスクにdocファイルを置いておきます)手書きのよりも文章が飛躍的にしっかりとしています。

これが2005年版の計画書の手本になり、2005年版は4月28日から7月28日まで、20ページで約2万6800字(原稿用紙68枚分)で書かれてあります。第1章だけで3000字(原稿用紙7~8枚分)あります。

こうして現在公開されている美少女ロボット計画2005年版を僕が当時17歳のうちに書き上げました。

此の小冊子は小学校時代の同級生で親友だった廣岡君が通う神戸国際大学附属高等学校の生徒のうち、たった6人が受け取ったとの事でした。

"美少女ロボット計画2005と美少女ロボット計画2017沿革と経緯、悠久の美少女ロボット計画のコンセプト曲は浜崎あゆみのYOUの前奏の懐かしさと後奏の真新しさをイメージしています。(3月19日追記)"

 

神戸村野工業高等学校の先生方の反応

担任 平本達美先生(機械科、現在67歳と思われる)村高の卒業生。

「よくそんな長い文章が打てたな」「ロボットなんか諦めえ、先生でもお手上げや」

「できません!君は我が強すぎる」

国語 安堂先生(現在38歳)

「美少女ロボットできたら、先生にちょうだい」

数学 片山秀夫先生(図書館担当、現在50代半ばぐらい)

この先生は僕の熱意にとても関心された様子でしたが、宇都宮先生に持ち込み禁止を告げられるまで応援してくれました。

数学 大前先生(現在40代半ばぐらい)

「内容は別として、大学生らしい文章だが、まだ練りが足りない」

「英語もできなきゃならない。数学の先生になるには英語の論文も読まなければならないから英語できなと苦労するよ」

英語 柳川先生(現在30代後半)

「すごいな…3年生が文化祭でこんな出し物するの初めて見た」

奥川先生 (機械科 現在60歳ぐらい)

「その資料は何かな…? 美少女ロボット計画! アキバ系か」

この先生も村高の卒業生で僕の熱意に関心していた。

 

濱田先生 (機械科 現在39歳)村野工業高校の卒業生

「すごいな…1つの物事で、こんなに一生懸命長い文章が書けるなんて…君には期待している」

 

中尾嘉喜先生 (機械科 現在45歳ぐらい)

この先生は機械科一の熱血漢で僕の事をとても気に入ってくれて、美少女ロボット計画2005の小冊子を文化祭の日に受け取り読むほどで、今も手元に残してくれているかは分かりませんが、中尾先生の言葉のひとつひとつが熱意に溢れていた事を覚えています。そして今も若き頃の情熱的な姿であり続けてほしいと影ながら願っています。

「くどい様に言うけど、先生は決して君達を憎いから(体罰)殴ったりはしない」

「何この資料?凄いな…美少女ロボット作る志で村野工業の機械科に入学したんか?うる星やつらラムちゃんのロボットでも作ってくれるんか?」

2005年版執筆中も電子工作部の生徒と揉め事して落ち込んで帰る途中に中尾先生は

「いつも新長田駅から走って来る姿が爽やかでいいね、先生は高田聖矢君の事を気に入っているからね。美少女ロボット計画の計画書は完成してから読ませて貰う」と言って帰った時も。「先生の年になっても其の夢を諦めず続けるのか?」とも。

文化祭の出し物を教頭に止められた件では「3年生が勝手にアニメの出し物とか、あかんで」と。

 

寺脇先生 (機械科 現在45歳ぐらい)

「夢は他人が侵害してはいけない領域だ」と言っていました。

いつの間にか僕のことを気に入って美少女ロボット計画2005の小冊子を受け取る。

教頭に止められるまで、文化祭の出し物も「もっとやれ、面白いぞ」と言ってました。

小池先生 (社会科 現在65歳ぐらい、元タクシー運転手)

「凄いノートやね」

 

以下は電子科の先生、電子科の先生たちは機械科の自分が電子工作部に入って勉強している事に口を揃えて「機械科を勉強しながら電子科の勉強をしに来たんやね」と言ってました。

吉川先生 (電子科 現在60歳ぐらい)

僕の夢について「10代で将来の進路を決めるのは酷だと思う」と言ってました。

オタク文化は認知していたが、しらけ気味でした。僕が書いた電子工作部のポスターを見て「これ誰だか分かるわ…」と言ってました。結局電子科の主任教師、井上先生たちに却下される。

徳舛先生 (電子科 現在65歳ぐらい)

文化祭の出し物で西又葵の絵を見せて僕が「こんなのをロボット化する計画なんですよ」徳舛先生「そんな可愛らしいロボットを作るんやね」

 

井上先生 (電子科主任 電子工作部顧問 現在75歳ぐらい)

僕が書いた電子工作部のポスターに呆れ気味だった。

高校3年の時、文化祭の出し物を教頭に止められた後に電子科職員室に没収した。

美少女ロボット計画2005の小冊子を読んで「全てが悪いという訳ではないが、良い事も書いてあった」「こんなの、学生がやるもんじゃない」

僕が「大人になっても、その道を一生貫き通します」と言うと「それが信念なら一生貫き通していきなさい」と答えました。

 

宇都宮直先生 (機械科 現在72歳)

美少女ロボット計画2004が書かれたノートを見るなりドン引きして「こんなのやめて、人間の女を好きになりなさい」「神様は人間の男性は人間の女性を好きにならなければならないと言っている、セックスは人間の女とするもんや」

「次こんなもの持ち込んだらしばくぞ」と言われました。

翌日、図書館の高田先生にチクリ持ち込み禁止を告

げられました。

それで僕が「それでも僕は一生この活動を諦めないですよ」と言うと

宇都宮先生「それは構わない、家で書けばいい。」と言われました。

CAD室でフロッピーディスクから美少女ロボット計画2005の原文をプリンターで印刷したことがバレて翌日2時間正座させられた事がありました。

宇都宮先生がバカにした様な口調で「セックスロボット!」と言ってました。

 

高田先生 (家庭科 図書館担当 現在60歳ぐらいの女教師)

宇都宮先生がチクったデマを真に受けて「昨日、宇都宮先生に怒られました。今まで黙認していましたが女体ロボットとか、いかがわしいロボットと聞いたので今後持ち込むのはやめてください」

卒業式の前日に美少女ロボット計画の小冊子を持ち込んだ時も怒られ、側に居合わせていた中嶋雪次先生に何か叱ってと言うと…中嶋先生の説教が終わった後「帰りなさい」と強い口調で言われました。

 

中嶋雪次先生 (機械科 現在72歳)村野工業高校の卒業生。

字が綺麗で難しい漢字も使うし、常に生徒のケツを殴る撓った鞭を持ち歩く屈強で頑固な先生だけど、僕が中嶋先生の科目で100点取った事など真面目ぶりには感心した様子でした。

「そんなもの図書館に持ち込んだり読み直したりしてはいけませんよ。学校の施設を使わなくても家で書けるんだから」

「それは価値観という問題であって、君が何も問題ないと思ってる事でも通じない相手もいる」…中嶋先生は、そう悟った。

「それ見せてみ、…でも長いな、何かの物事に一生懸命に取り組む事は良い事だと思う。これは君の目標でもあって夢でもある」と言い残して図書館を後にした。

『夢を持って何かの物事に一生懸命に取り組むのは、いい事だ』

2006年、そして卒業式を迎えました。

 

(以下3月16日追記)

卒業後初のアルバイトの40代の同僚から「将来の夢はどんな夢?」と聞かれて返事すると「夢はいくら能力ある人でも、1人ではとても何かを成し遂げることは出来ない」と言っていました。

同年9月29日に【美少女ロボットのブログ】の公開を果たしました。

こうして親に捨てられて美少女ロボット計画の記事内容にも読者は感心を示さず、10年間余りも読者らしい読者は居らず、周りの人から無視され続けられました。

20代になっても幾つかのマイナーチェンジを繰り返し…

 

そして2017年、旧ブログがサービス終了に伴い消滅する直前に決意を新たにした29歳の自分は12年ぶりに本気を出して本書を書いています。

30歳を目前にして、身も心も大人になった29歳の僕は20代で培ってきた知識と経験と心の全てを全力を尽くして本書に書き上げる所存です。

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17歳の頃の写真です。(2005年当時)

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城崎温泉で29歳の誕生日に撮った写真です。(現在のプロフィール画像)2016年当時